1.SFCとはクレジットカードの会員制度だった。
順調に?進んでいるような私のSFC修行日記。前回までのあらすじは前回までのブログを見ていただくとして、インターバルとして「なぜ私は自分でSFCに入ろうとしたのか?」について、お話ししようかと。
家族の誰かが達成すれば、他の家族も同等の権利を得られるSFC。
でも私はSFCは「一家に一人いればいい」ではなく、個人個人が獲得したほうがよりメリットが多いと思ってはじめてみました、SFC修行。
納得して家族会員を選んでいる人はそれでよいと思う。でも私は意外とそのへんを書いてある修行ブログってないような気がして書いてみようかと思いました。
まず大前提として
SFC修行=「スーパーフライヤーズカード」というANAのクレジットカードの会員になる。
…ことらしいというのは、年末にぽちぽち有識者のブログを検索していて知った。
50000PP達成すれば、自動的に会員になるわけではない。打者なら2000本塁打以上打てばほぼ自動的に入会できる「名球会」(プロ野球の話)とは違い、カードに入会することによって保たれる身分(?)なのだ。
その私がわずかに理解していたSFC達成の流れはざっくりこうだ。
ANAカードに入る
↓
飛行機に乗ってPPを貯める
↓
ANAカードをスーパーフライヤーズカードに切り替える
以上。
5万PP貯めたら「達成しました」と連絡して、カードを発行して、それではじめてSFC会員となる。カードなので、SFCは達成したからといって一生ものになるわけではない。
「クレジットカードを更新し続ければ」一生ものになるのだ!
2.家族会員より本会員になりたい理由。
カードを更新することによってキープできる身分というのは、なかなかフレッシュな事実だった。一方でこれはクレジットカードなので、家族カードも作れる。つまり、
一家で誰かがSFCになれば、家族も同等の権利を得られる。
だったら家族に飛行機修行をやってもらって、その家族会員になるという方法もある。私のように飛行機が苦手なら、なおさらその手はアリ。というか多くの会員は、一家の誰かが出張だったり飛行機好きだったりしてたくさん搭乗して親会員になって、家族は子会員になっている(と思われる)。
でも思い出してほしい、「ゲスの極み乙女」の楽曲のワンフレーズを。
「私以外、私じゃないの」
ROLANDの名言を。
「俺か、俺以外か。」
椎名林檎の「人生は夢だらけ」の歌詞を。
「それは人生 私の人生 ああ誰のものでもない」
これ以上はJASRACに抵触するので差し控えるけれど、そういうことだ。
もし家族に修行してもらって家族がSFCを取得したら、私もその恩恵に預かれる。一方で、家族がいろんな理由でいなくなったら、私は会員ではなくなる(!)というリスクも同時に受け取る。
3.空飛ぶイエ制度、空飛ぶ家父長制!?
家族だから身分が保証される。
反対に家族でなくなったら、SFCもなくなる。
究極の話をすれば、家族が同時にこの世を去ることはごくまれだ。それこそ飛行機墜落のような不慮の事故か心中でもなければ何万分の1の確率かもしれない。核家族や少子化でいまやたいていの人が「老後おひとりさま」になる時代だが、家族会員になったらおひとりさまになると、SFCも失われてしまう。
えっ、それって怖くない!?
…うーん…やっぱり自分でやったほうがいい…ような気がする。
3.私が自分で飛ぶと決めたきっかけ。
そう思いながら最初に見た修行僧のブログがこの思想を後押しした。
なぜなら、そのブロガーさんが修行を始めたきっかけが「会員だった父親をなくして、SFC会員でなくなったこと」だったから。うわーーーやっぱあるよな、そういうの。お疲れさまです…。ともかく、
家族であれ、人を頼っている場合ではない。
いま行動すれば、足腰もすっかり衰えた老後の私は、手荷物検査レーンに並ばず、荷物を待たずに軽やかに旅行できて「あのときの私、ありがとう…」と現在の私に感謝することだろう。
将来のために大事にすべきものは何か。
多くの人はお金か健康と答えるかもしれない。しかしそのどちらも、≒自由。自由に行動できる権利と言いかえられる。その二つに及ぶべくもないけれど「自由を手にする」という意味では航空会社の終身ステイタスもまた老後の備えと呼べるかもしれない(ANAのある限りは)。
何より他の国で一年頑張ったら取れる終身カードシステムはあまりないような気がするので(さすがは終身雇用制の流行った国)、カードの審査もあるし、やれるうちにやっておいたらいいかもしれないと思ったのだ。
速攻で沖縄行きのチケットをポチった。少しくらい高くついても自分でSFC会員になっておこう。だって私以外、私じゃないから。
そんなわけで私のSFC修行が始まったのだった。
(次回からはまた修行日記に戻ります)